あけましておめでとうございます🎉

今年が皆さまにとって素敵な年でありますように祈念いたします🫶

久しぶりに家族、親戚、友人と会ったり、連絡し合ったりで、ゆったりしたお正月を数日間過ごさせていただきました。こういう時間って本当に大切なんですね。今までは忙しくしすぎて見落としていたことがあるなあと感じます。あれはあれで大切な経験だったし、経験してみないと穏やかに過ごせることの有り難みに気づけなかったと思うので、全ての経験に感謝です。

作詞作曲の制作関係には自分のペースで携わらせて貰っています。春以降には関わっている作品に関するご報告ができるかも🌸

オンラインサロンのメンバーさんを募集してます。ライブ活動お休み中の皆さまとの大切な交流の場です😌

https://www.fan.salon/sakikato

ネット上には殆ど情報が出ていないようなかなりマニアックなジャズ曲の対訳と解説を英語講師の視点を混えて書いたり、極私的な日常を綴ったり、歌を歌ったり、映画や文学作品のレヴュー等、美しいと感じたものを皆さまにご紹介したり、しています。参加して下さっている皆さまのおかげで私にとってはとても居心地のよい、安心できる場所になっています。

ライブ活動復帰は今年の半ば以降辺りがいいかしら、なんて漠然と考えています。まだはっきりと決まっているわけではないのですが〜。

歌手としても人としても成長できるように精進いたします☘️今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

今年もありがとうございました♡

今年も大変お世話になりました🌟

個人的には今年というよりはここ数年、激動の数年間でした〜。一気にたくさんの経験をして、少しは成長できていると嬉しいです。誰の人生にもそれぞれに紆余曲折あり、それぞれの学びがあるのだと思います。

春には今までの音楽活動の集大成だと思えるライブを2本開催することができました。アレルギー症状から咳が止まらなくて体調が絶不調だったときのLilla Flickaのポップスライブと、体調が回復した後の加藤咲希のジャズライブ。前者は今までの代表作を中心にビート作りやアレンジ等、メンバーと一緒に構築を積み重ねたので、本番では私の体調なんて関係ない領域で、共演メンバーが最高のパフォーマンスをしてくれました。Lilla Flickaでやりたかったことをやり切ることができたと思います。

後者のライブでは、お休み前最後のライブだったこともあるのか、今まで体感したことのなかった不思議なゾーンに入って、音楽そのものを感じながら、媒介として歌うことができました。後にも先にもああいう体験をしたことはありません。でも私が一度だけ垣間見たあの場所に、優れた音楽家は常にいるのだと思うし、私もまたあそこに立つことを目指してゆきます。お越し下さった皆さま、本当にありがとうございました。

初夏にはライブ活動お休み期間中の皆さんとの交流の場としてオンラインサロンKOGUMA CLUBを開始しました。毎日の配信が日課になり、今ではとても大切な居場所になっています。参加して下さっている皆さまのおかげで、細々とでもいちシンガーとして創作や歌を続けることができていて、感謝してもし切れません。

秋には私が所属する『新音楽制作工房』を通して、歌手さんの楽曲に作詞をして提供するという機会を頂戴しました。昨晩ハッピーエンドを迎えた『電影と少年CQ』のルアンさんとのコラボレーション。これからさらにご一緒させていただく機会が増えそうで楽しみです。

冬…今ですね、は久しぶりに本格的に大学受験生の英語指導に携わらせていただいています。共通テストまであと少し、それが終わったら私大の試験と2次試験。願わくば全ての受験生が自分の持ちうる力を最大限に発揮して、より志望に近いところに受かりますように。

何はともあれ、今この瞬間ここにいることが奇跡で、それだけで凄いことなんだって思います。ここまで生き延びてきた皆さま、おつかれさまです🙏良いお年をお迎えください🩷

私は私が発する音楽や言葉を通して、私と関わってくださる皆さまのことを心から愛しています。

Love, 咲希/Lilla Flicka 

近況報告とかお知らせとか

またもやお久しぶりです!ライブ活動を休止してから約半年、引き続き毎日オンラインサロンの運営が忙しく、かつ初夏から夏にかけて大きく体調を崩していたので、最低限のことしかできず、なかなかオープンな場に登場できませんでした〜。

写真はやっと元気になってきた頃に命綱の海に行けたの図。

オンラインサロンではいろいろと曝け出しています(笑)メンバーさん達の間では、たぶん私のイメージ変わったと思う。余裕がなくて変なところが出てしまうー!(笑)われながらコメディエンヌだなと思います。自分が辛いと感じているときも、幸せそうだね、と言われながら、顔は笑顔でニコニコ死んでいく気がする…。それ自体が幸せなのかもしれません。

でもオンラインサロン運営にひとつの重大な問題が生じています。まだまだメンバー数が足りず、引き続き運営が火の車です。ひょえええ〜!考えてみれば、ライブ活動を休止した後に始めて、かつ最初の1, 2週間以降、一切お知らせができていないので、メンバーが増えるわけないですよね〜(苦笑)

というわけで、やっと体調が落ち着いてきた今こそ再度オンラインサロンのお知らせをさせていただきます!メンバーさんがアクセス可能なコンテンツもかなり溜まってきたので何からお知らせしてよいのやらですが、まず今日は全プラン共通のコンテンツのひとつ、ジャズ歌詞対訳&解説のサンプルをご紹介したいと思います。

ちなみに、どんなに体調が芳しくないときもオンラインサロンの運営だけは死守しているので(宣伝はおろそかですが…)現時点ではこれが私の精神的、物理的な支柱となっております。なので熱量だけは高いんです。

ご紹介するのは、皆さんお馴染みの”As Time Goes By”を取り上げた回です。ジャズ歌詞の訳をアップロードする方は多いですが、私の場合は、最終的には皆さんが自立して英語と向き合っていけることを目指しているので、ただ訳するだけでなくて、文法、語法、解釈の過程、スラングについても言及しています。

noteにアップしたので、リンクから覗いてみてね♪

“As Time Goes By” 対訳と解説

https://note.com/sakikato/n/n9c46fcbf7594?sub_rt=share_b


オンラインサロン入会はこちらから♪

https://www.fan.salon/sakikato/

8/21近況報告

ご無沙汰しております!オンラインサロンを始めてから全ての発信はサロンの方に移行してますので、毎日そちらが忙しくて全くSNSを触らなくなってしまいました〜。生きてます!今回はご報告があって久しぶりに開いています。

事後報告になっちゃいましたが、昨晩8/20渋谷WWWXで開催された、菊地成孔さんが主宰している音楽制作集団、新音楽制作工房presents〈未来のコドモたちのために〉リリースパーティーで、ルアンさんが歌った曲の作詞に携わらせていただきました!ルアンさんは今をときめく男女2人組のアイドルユニット「電影と少年CQ」のひとりです。

おだんごヘアにチャイナ風ドレスのめちゃくちゃキュートなルアンさんのパフォーマンスに胸がきゅううん。楽曲『ミッドサマー・シンドローム』の歌唱場面では曲調とあいまって気持ちが昂り、うるうるしてしまいました。

ライブ動画はこちらに。

https://www.instagram.com/reel/DNnisSUhBgv/?igsh=YWk0cWUyZThldnB4

今回は訳あって、この曲は私が提出した歌詞の原案のままのパフォーマンスだったんです。というのは、どういうことかと言うと、今新音楽制作工房では作詞の共作というものを掲げていて、作詞班の中の誰がどんな歌詞を書いてきても、一度作詞班の中でさらに磨いてから世に出す、という、今までは業界があまりにも個人の才能や無意識の感覚に頼り切っていた「作詞」という作業の在り方を根本から覆すような新しいやり方を標榜しているのです。なので今後新音楽制作工房の作詞案件は、原作が誰であれ、世に出る段階では、原理的に作詞班全員の手が加わっていることになります。このやり方はとてもクールで、既にどんどん凄い歌詞が出来てきています。

でも今回は特別に偶然に偶然が重なって、『ミッドサマー・シンドローム』は、私の原案のままの歌詞での歌唱となりました。アルバムに収録する際には、作詞班全員の手が加わって、より洗練され、ヴァージョンアップした歌詞が使われることになります。なので、昨日ルアンさんが歌ってくれた『ミッドサマー・シンドローム』は、本当にあのときだけの特別なヴァージョンでした。自分じゃない歌手さんが、数百人のオーディエンスの前で、自分が書いた歌詞を歌ってくれるって、不思議で敬虔な体験でした。

今までも自分の曲の歌詞は書いてきたし、歌手仲間やミュージシャン仲間の方々に歌詞を提供させていただくことはありましたが、一定の規模感を持ったポップスの作品という意味では、今回の経験がいわゆる「作詞家デビュー」に当たるのかもしれません。

ちなみに昨日ルアンさんが歌われた楽曲の中では他に『優雅な生活が最高の復讐である』が他に私が原案で関わっている作品となります。この作品は既に作詞班の中で磨いた後の作品です。タイトルは大学のときにゼミでお世話になった素晴らしき翻訳家、青山南先生が訳を手掛けていらしたカルヴィン・トムキンズの訳書のタイトルから拝借しています。本と詞の内容は関連していないのですが、あまりにも心が揺さぶられる言葉の並びだったので(英語で書かれた原題さえも凌ぐ美しさ)拝借させていただきました。原題の”Living Well is the Best Revenge”はスペインの諺です。いくつもの媒介を通して、何重にも巡り巡って、美しい言葉たちが世界に出現してゆきます。

前述のように、これから新音楽制作工房プロデュースのルアンさんのソロアルバムが出ます。たぶん発売は冬くらいになるのかな。私もまた作詞班の一員として、引き続き制作に関わっていくことになります。

ライブ活動をお休みさせていただいている今、こういった形で自分の関わった作品が世に出ていってくれるのはとても嬉しいです。以前から、アイドルちゃんの作詞をする人になりたい、と思っていました。私のシンガーソングライターとしての別名義、Lilla Flickaでしている作詞は、我ながらやっぱりアイドルとの親和性が高いと思います。私のオブセッションとして、心の中の少女の気持ちを描くことにしか興味がないのです。少女は、少年の中にも、老女の中にも、存在し得ると思います。でも、本当に少女のような形をした方に歌って貰ったときの強度は、凄いことになる、と驚き、そして確信しました。

まだまだ入り口の入り口にいますが、作詞家への扉を開いて下さった菊地成孔代表と、それぞれが驚くほどに素晴らしい才能を持った新音楽制作工房の面々に敬意と感謝を。今までの作品で提示されてきた作曲班の能力は言わずもがな、作詞班の皆も非常に独創的で本当に凄い詞を書いていて良い刺激を貰っています。それをさらにブラッシュアップする楽しみ。

昨晩のアクト全てがきらきらに輝いて、ルアンさん、ゆっきゅんさん、コドモSPANK HAPPY、代表のDJ(諸事情で私はDJは最後までは見られませんでしたが、たくさん動画が上がってました!)、全てが最高でした。私の感慨を書き連ねてしまいましたが、昨日のメインディッシュはアルバム『未来のコドモたちの食べ物』ですからね!

あ、引き続き加藤咲希のオンラインサロン「KOGUMA CLUB」のメンバー募集中です。毎日ブログを書いてラジオ配信もしているので、サロン運営が忙しすぎて、サロンの存在自体の宣伝が完全に止まってしまっているのでした…。なので立ち上げの最初期から一切メンバーが増えておらず(笑)運営が火の車ですので、ぜひぜひ入会しての応援よろしくお願いします!
https://www.fan.salon/sakikato/

ジャズ歌詞対訳&解説とか、ラジオ配信のコンテンツもかな〜り溜まりました!近日体力があるときに、あらためて今までにアップしたコンテンツのラインナップをご紹介差し上げたいと思います。コンテンツには入会と同時にアクセス可能になりますが、もうすぐアップロードの容量制限がやってくるので、古いものから消さざるを得ず、まだ全てアーカイブが残っている今のうちにぜひ。

これはこっそり内部情報ですが、どうしてもLINEができず、入会したいけどLINEを通してのオンラインサロンには入会することができない、という方の救済策を考えています。(救われるのは私か!)
そういう方はこっそり連絡下さいね。

◆5/18(日)近況報告◆

もう少しでオンラインサロンが完成します!

名付けて

「ジャズシンガー加藤咲希のKOGUMA CLUB」

です🐻✨

LINEで全て完結する仕様にしたので、サロンメンバーになることをご検討くださっている方でLINEアプリ未登録の方は、ぜひLINEアプリを入れてお待ちくださいね❤︎ 完成したら、オンラインサロン用の新たな公式LINEアカウントのアドレスをお知らせするので、そこから登録していただく形になります。

今までの公式LINEが使えなくなるわけではなくて、オンラインサロン用の公式LINEアカウントと、オンラインサロンとは関係ない普通の加藤咲希公式LINEアカウント、二つが並行して存在することになりますので、お間違えなきようお願いします🙏

完成に合わせて、今までFacebook、Instagram、公式サイト、その他note等にランダムに上げていたブログやエッセイは、今後は全てオンラインサロンの中に集約させることにします。

オンラインサロン限定のコンテンツはこんな感じ。

◇スレッドでのコミュニケーション

◇週1回のロングエッセイ兼ブログ(5000字以上)と写真

◇毎晩のおやすみボイスメッセージ(3-5分くらい)22時にアップ予定

◇月4回以上の生配信

時間帯や曜日はフレキシブル

◇不定期で収録動画もアップ

早く完成しないかな〜と、業者さんとやりとりしながらワクワク、私自身とても楽しみにしています。

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4月後半〜5月前半は、オンラインサロンの構築、楽曲『Overflow』のMV制作に関するやりとり(今回もヤシマロパさん作の名作です!泣いちゃう!)、友人が英語で書いた映画の脚本の編集のお手伝い、英語レッスンと、毎日何かしらの作業をしていました。今まではあまり時間がなくてできなかった大好きな読書や映画鑑賞も自分に許しています。

でも何せ今は「がんばらない」を目標としていて、また散歩や自炊、早寝早起きも日課としているので、1日にできることが極端に少なく、丁寧に生きると、やるべきこと以外をする時間は全くないのだなあと実感しています。そして今はそれでよいのだと確信してもいます。なので、殆ど全てのお誘いをお断りして、狭い世界の中で生きているわけですが、また外の世界に出て大丈夫と私自身が思えるようになるまで、今はまさに充電期間なので、いつかまたステージで歌える日まで、私のことを忘れずにいてもらえたら嬉しいです。

オンラインサロンでの週1ロングエッセイ兼ブログはどういう内容になるのか、という一例を以下に書いてみました。そしてこういうのは出オチ?というのでしょうか、あらためて以下に5000字を貼り付けてみたら、思ったよりもヴォリューミーだったので、週によっては3000〜4000字くらいのときもあるかもしれません〜。でももう業者さんにランディングページのサロン紹介文は提出しちゃったので(自分で直せない仕様)、すぐにはサロン紹介文の方は直せず。もしエッセイ兼ブログは必ず5000字以上じゃないとイヤっ!という方がいらしたらお気をつけて…でも倒れたりしない限り必ず毎週書かせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

以下、5000字とはこんなヴォリューム感だ!

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5月某日、ショパンコンクールの予備予選の通過者が発表された。予備予選は寝る前になんとなくランダムに見ていただけなので、170人くらいいる中で合計10人くらいしか聴けていないけれど、一聴して好きになったマレーシア出身のVincent Ongが本大会進出となっていて嬉しかった。私にはテクニカルなことや何が典型的なあり方なのかはわからないけれど、コンクールの予備予選なことを忘れてただうっとり聴き入ってしまった。発表前は180人くらいだった彼のYouTube登録者が今では220人に増えている。でもこんなに凄いピアノなのに220人!コンクールが進むにつれて露出が増えてファンももっと増えるのではないかと思う。YouTube上の他の演奏動画もとても素敵だった。恋には恋が出現し、躍動には躍動が出現し、青年の憂いには青年の憂いが出現し、きらきらのピアノには目に見えないエネルギーがたくさん乗っている。世界には身悶えするほど美しいものがたくさんある。

5月某日、カート・ヴォネガット著『タイタンの妖女』読了。SF小説というのは、何がどこまで可能な世界での出来事なのか、つまり時代背景や科学技術の舞台設定、世界観の構築から始めないといけないので、優れたSF小説はある種唯一無二の宗教性を帯びているのだと思う。アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』しかり、奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』しかり、読後しばらくはどう考えてもこの世界こそが真実であり、その中を私たちは生きているのだ、としか思えなくなる。どう考えても理に適っている。じゃあ『タイタンの妖女』の世界も、『幼年期の終り』の世界も『ビビビ・ビ・バップ』の世界も真実なのだとしたら、世の中真実だらけで逆にわけがわからない、それを平行宇宙と呼ぶのかもしれない。

機械は友情が何かを知りたがり死をもってそのことを知り、証明する。女は自分を凌辱した男を死の間際に赦し(たぶんフェミニストたちが怒らないあり方で。私の中にもその血は流れているはずだから)、物語を紡ぐ。男は全てを知ってしまった知性の苦しみの中で、それでもできる限りよきことをしようとする。また別の男は自分以外の誰かの意図によって翻弄され切った人生の終わりに、愛を発見する。人々は自らの愚かさを悔いあらため、おそろしいほどにとことん平等であろうとするようになった。悲しく、面白く、優しい物語。「わたしを利用してくれてありがとう」。果たして、誰にも何にも利用されない、何もかも自分の意図どおりで、全てから自由な生があるとしたら、その生は楽しいのだろうか。いや、そもそもそういう生には意志が生まれ得るのか?

5月某日、あらためてビリー・ワイルダー監督『お熱いのがお好き』鑑賞。マリリン・モンローの可愛いこと!やはりずば抜けている。こんなに可愛く美しくセンシュアルな女優を見たことがない。ブリジット・バルドーが彼女の前ではコンプレックスを抱くほどだったという逸話もさもありなんと頷ける。あの世界でいちばん可愛い顔と、声と、胸と、臀部。あんなに美しかったら、あれじゃ殺されちゃうわねジャンニ(by SPANK HAPPY)。演技力とか、そういう次元の話でない、可愛すぎて、ヴィジュアルの存在感が凄すぎて、ただそこにいるだけで成り立つ圧倒的な存在感。凝縮された女性性のイデア。

ちなみにブリトニー・スピアーズの顔は彼女へのオマージュであると思う。かの有名な楽曲”I Wanna Be Loved By You”はこの作品から。彼女の甘えるようなささやき声をカリカチュアライズして模倣するケースも多くあるけれど、本人はウィスパーでなく割としっかり歌っているという新鮮な驚き。

5月某日、『アナイス・ニンの日記』の訳者あとがきを読んで、アナイス・ニンがどうやら嘘つき扱いされているかもしれないことを知る。生前出版されていた編集版と、死後に出版された無修正版の中のいくつかの事実が違っているからとのこと。自立した女性のように見せていたけれど本当は夫の金銭的な庇護の下にあったらしいとか、恋愛関係のいくつかの相違とか、そのようなこと。死後に出版された無修正版の出版許可を生前の本人が出していたのかどうかわからないけれど、もし出していなかったのであれば、版権を受け継いだ者が本人が望んだわけではない形で出版して、その結果嘘つき扱いされていたら嫌だなあと思った。いや、たとえ本人がOKを出していたとしても、どちらにしろ「真偽」は批判対象にはならない気がする。

そもそも「日記文学」に客観的事実を求めること自体が難しいことは、作家自身が自覚していると思う。ドキュメンタリー映画やノンフィクションのルポルタージュのようなものも同じことで、編集次第でいくらでも作者の意図を反映させることができるという意味では、「客観的事実」を描いたものなどただの一つも、どこにも存在しない。量子論的観点からすると、観測されたものが存在する、観測されないものは存在しない、ということらしいので、そもそも「客観的事実」はプラトンの言うイデアのようなものなのか、なんだかあるらしいと憧れたり、存在を感じることはできても、完全に認識することはできないのかもしれない。またその物語がその作家から出てきた、という事実において全てはノンフィクションであり、逆に事実を徹底的に描写してノンフィクションに限りなく近づこうとすることはできても、人為が為すことである以上、何もかも客観的事実ではなく常に全てフィクションということになる。もちろん、こう見せたい、という意識下の、あるいは無意識下の意図もあるだろう。それが悪いことだとは思わない。

日記文学の作家に良心があるとしたら、自分が書いた世界観を事実そうであったかのように生き切ることなのではないだろうか。事実の真偽ではない、そういう物語を世に出すことが私にとっては美しく思える、正しいと感じられる行為だった、ということ。もっとも常に自分の良心に従うようないい子ちゃんの行動が面白いかどうかはわからないけれど。物語の世界では裏切られることもまた楽しからずや。

5月某日、何かを失って初めて、それがあることが当たりまえではなかったのだと知る。衝撃で魂が肉体からずれてしまったような感覚に陥る。それがあることが当たりまえだと思うほど、私は無垢で傲慢だった。三日三晩泣き続けて目が眼鏡を取ったときののび太くんみたいになって、それがあったら幸福という思考回路自体が今の私には役に立たないことに気づく。幸せになることはできない、既に幸せなことに気づくことしかできない。瞬間の幸福に集中することを思い出すのだ。人生が夢みたい、と告げると、友人は、そうだね、と同意した。自らへの処方薬として海に行って足を浸したりした。ちょっとずつ魂が戻ってきたような気がした。

5月某日、Lilla Flicka名義の楽曲『Overflow』のMVが完成した。『I’m An Instrument』『大人なんだから』に続いて今回もアニメーション作家のヤシマロパさんにお願いしていた。当初は3月のJZ Bratでの加藤咲希×Lilla Flickaのジョイントライブに合わせて公開の予定だったけれど、ヤシマロパさんの体調不良により、完成が延びた。ヤシマロパさんはとても申し訳なさそうにしていたけれど、同じく体調不良歌手としては人ごととは思えず、もちろん完成は早い方が嬉しいけれど、でも体を壊してまで守らないといけないような締切ではないので、いつでも可能なときに完成させてもらえれば大丈夫、と伝えてあった。そもそも誰かが大きく心や体を壊してまで守らないといけない締切、やらないといけない仕事なんて存在するのだろうか。私は存在しないと思う。どんな大きな仕事でも。まずはそれぞれが自分の健康を守ることがとても大事。

誤解を恐れながらいうと(坂爪圭吾節)、凄くポジティブな意味で、あなたの代わりはいくらでもいる。心や体を壊すまえに、逃げていい。いやいや、仕事しないと食べていけないし、という反論には、いやいや、日本には生活保護があるし、そこに辿り着くまえの失業保険や(ジャズミュージシャンにはないけど…)、公的な住宅なんとかサポートとか、無利子の融資もあるよ、と思う。誰かが困ったときに所属しているコミュニティに本気でサポートを求めて、それが与えられないことがあるのだとしたら、そのような世界に私は生きていたくない。私の思想が幼い倫理的潔癖症の理想論だとしても、まず想像できないことは始まらない。私が私の理想の世界を生きることからしか、理想の世界は始まらない。そう信じて今日も水を浄化し、花を植える。水は日々汚れていくので、日々の浄化を必要とする。

かくして出来上がったMVは作品として最高で、やはりヤシマロパさんの才能は素晴らしいと思う。ただYouTube等にアップロードするだけではもったいなく思えてしまい、でも作曲のトオイダイスケさんも作詞の加藤咲希も今現在ライブ活動を休止していることもあるし、楽曲のリリース自体からは半年弱開いてしまったので、どのようにプロモーションをしていったらよいのか、考えあぐねている。いつかやってくるであろう機を待つべきが、もったいぶらずに通常どおりに自分でできる範囲で細々とプロモーションしていくか。決定打のないまま、言葉と音楽と映像の結晶が手元にある。

5月某日、大学受験生への英語レッスン。中堅以上の大学入試問題となると、まず受験生が長文全部に目を通す時間はない。まず段落ごとにざっと読んでだいたいの内容を把握する。もし細部が設問になっていたら初めて細部の確認をするぐらいでないと間に合わない。逆に言えば、論説文はそれで読み解くことができるように書かれている。英語圏の人たちは学生の頃に、段落の頭に段落の内容を集約したトピックセンテンスと呼ばれる文を書くこと、その後同じ段落に具体例や説明を書くこと、段落ごとに内容を分けること、を徹底的にトレーニングさせられるので、論説文はこのやり方で解読できるようになっている。最近は社会人のビジネス英語を教えることが多かったので、大学受験生のクイズのような英語問題は面白い。

大学で人間の脳の第二言語の習得の過程を学んだ私の観点からすれば、大学受験生に限らず、言語学習は、途切れさせないことが大切である。通常の日本語話者であれば、第二言語は必ず習得できる。人の脳は必要あらば、「第二言語を習得せざるを得ないように」できている。

中高で6年間英語を学習した後(今はさらに小学校からも少しずつ)、さらに何年も英会話レッスンに通ってもできるようにならなかった、という話はとても多く耳にするけれど、そういう場合は必ず途切れている期間がある。途切れがちだから、一度学習した後に次の学習期までには学んだことがリセットされてしまい、また1から始めないといけなくなり、それを繰り返すうちに、同じことの繰り返しでつまらない、自分には向いていないのだ、と諦めてしまうケースが多い。時間がなくて学習時間を取れないという場合は、他に優先事項があるのだから仕方がないけれど。

語学力をグラフ化すると、まっすぐな線ではなくて階段上に上がっていくので、成果が目に見えない時期があるのは構造上当然のこと。それでも続けていたら必ず伸びていく。諦めや飽きを引き起こさないのも講師のスキルだけれど、これがなかなか難しい。(書いていて気づいたけど、階段上に変化するのって、スポーツも歌も楽器の習得もダイエットも愛を育むのも!全てだいたい階段上なんじゃ?構造的な欠陥がある場合は別として、忍耐力と続けることに飽きない気持ちがあれば、だいたいのことは実現できるのではと思った次第。急がば回れ案件ばかり。おお神はわれわれを何かを反復し習得するように作りたもうた!)

また、第一言語習得に文法は必要ないけれども、第二言語習得の過程では、文法は基本的には必須になる。言語学によると、第二言語の語学力は、第一言語を使ってどこまで第二言語の体系を相対化し、把握できるか、にかかっている。第二言語として学術やビジネスレベルの英語を流暢に扱う人の中で、最低限の文法理解のない人にはただのひとりも出会ったことがない。これには人の脳がどう言語を習得していくか、に関係している。生来の環境に依拠するバイリンガルでない限り、第一言語と第二言語は別の習得の過程を辿っていく。第一言語の習得は、言語能力ゼロの赤ちゃんが言語という概念そのものを身につけていく過程。第二言語の習得時には既に言語という概念自体は脳の中に存在しているので、同じ過程を辿ることは機能上できない。

長い話を短くすると、文法は敵ではありません、大いなる味方です。

続く…

4/15(火)近況報告

🌺4/15(火)近況報告🌺

前回の近況報告をアップしてから、英語/日本語レッスンを申し込んでくださった方々ありがとうございます。語学レッスンは日々の糧であり喜びでもあります。私は言葉に触れていることが本当に好きです。

あれ?今日はまだ動画が上がってないぞ、とお思いの方もしいらっしゃいましたら、ごめんなさい!1週間連続で3/10渋谷JZ Bratライブの動画を上げますと宣言して、日々動画を切り出し編集していたのですが、1stも2ndも後半はあまりにも声の物理的な状態がよくなかったので、ここまでにしようと自主規制に至りました。なので動画の連続アップはここで打ち止めです。自分で勝手に始めて勝手に打ち止め、ごめんなさい〜🙏

今までの集大成と銘打っていたこのライブ、あらためて今までの集大成にして、喉のコンディションだけ取り上げたら最悪の中でのライブでした(笑)喉のコンディションは最悪でしたが、ライブとしては最高でした。合計6本の動画が自分でぜひアップロードしたいと思えるクオリティで切り出せたのは、ひとえに、素晴らしいメンバーと、支えてくださったオーディエンスの皆さまと、音楽のカミサマの采配のおかげです。それから、音楽とは不思議なもので、もちろん演者の体調がよくなければ綻びは出ますが、そして完璧であることは美しいですが、美しさは完璧であることではないのだと思います。

スギ花粉の飛散量がピークの時期。発熱するほど酷い花粉症の中で、1stと2ndの休憩中にステロイドの吸入と咳き止め追加でなんとかぎりぎり持ち直したこと、インスト曲をそれぞれのセットの真ん中にして鼻かみタイムを作ってもらったこと、それでも歌唱中はアドレナリンで咳は出なかったこと、気持ちを込めたこと、歌にエネルギーを乗せること、”The Wizard Hits It Even On A Rainy Day”、今となっては全てがよい思い出です。このように、死んだら全てがよい思い出に変わるのでしょうか。

打って変わってお休み前最後のライブ、代々木NARUではびっくりするぐらい体調がよく、歌に集中できて、最高の歌唱体験でした。あのときの私にできた中で、あれ以上のことはありません。でもNARUでは動画撮影が禁止されているのでデータはなく、いらしてくださった皆さまと私の間だけの秘密の体験となりました。でも歌手人生が続いていく限り、また更新していけばいい。

かつてマリリン・モンローがこう言ったとか言わないとか。

“But if you can’t handle me at my worst, then you sure as hell don’t deserve me at my best.”

ファンクラブというか、オンラインサロン開設に向けて日々動いています。いろいろな業者さんに相談して、どのプラットフォームで私のやりたいことが実現可能なのか、検討しているところです。ボタンひとつで簡単開設、というわけにはいかないみたいで、急がば回れ、やりたいことをひとつひとつ実装する手段を見つけていければと思います。

ChatGPTにも手伝ってもらっています。Chatさん、調べものをお願いすると超絶早いけど、結構間違っているときもある。ざっと知りたいときはスピード重視でChatさんに調べてもらい、いざ運用となると、きちんと私が確認する必要があります。調べていくと、条件的に厳しい場面が多くあったり。調べもののたびに前提条件を細かく設定するくらいだったらまだ自分で調べてしまった方が早いので、Chatさんの性質を知った上でChatさんが得意な部分だけをお手伝いしていただくのが現時点では良さそうです。

この人は歌手だから配信機能も必要だろうとか、着手段階ではなるべく運用コストをかけないで済むプラットフォームを探しているならばそのシステムの足りないところを補う為のまた別のプラットフォームもリーズナブルな方がよいだろうとか、そういう想定は殆どないように感じる。システム上の容量の問題なのか、想像力は重視されていないのか、技術的には可能だけれど汎用型にはまだ搭載しない方がよい理由があるのかしら。

しばらくしたらその辺もどんどん改善され、賢くなって、そのうち人間の認識の届かない知性の彼方へ行ってしまうのかもしれないけれど。スパイク・ジョーンズ監督の映画『her/世界でひとつの彼女』みたいに。あれは美しくて切なくて大好きな映画のひとつです。とは言え、今でも得意な分野では素晴らしい秘書として活躍してくれるChatさんの力を大いに借りて、オンラインサロン開設に向けて、着々と進んでいます。明日もミーティングが二つ。

最近のお気に入りフレーズは「狂気に火をくべない」。狂気に火をくべず、狂気は普通にその辺にあるけど、だから何?So What/Miles Davisって感じで適当に飼い慣らして日常を送ってるくらいの人はセクシーだと思います。

写真は「朋あり 遠方より来たる また楽しからずや」のときの一場面。

3/10渋谷JZ Brat舞台裏の話

では3/10渋谷JZ Bratのbehind the scenes、舞台裏の話。

最初にお伝えしておくと、私は同情して貰いたいわけではない。同情するなら金をくれ!と小学生の安達祐実ちゃんも叫んでいたではないか。祐実ちゃんが大人たちにもの凄いセリフを言わされているのを聞く度に、あああの可愛い祐実ちゃんが芸能界の荒波の中でジュディ・ガーランドみたいな人生を送ることになってしまったらどうしようと勝手に恐怖していたものだった。だってジュディ・ガーランドは薬漬けにされて、◯◯に〇〇されて(書けない)大変な人生を送ったのだから…。でもそれは杞憂だった。祐実ちゃんは立派な大人になった。祐実ちゃんは芸能界の荒波に負けなかった。見よ!あの透明感を。祐実ちゃんの人生にあんなことやこんなことはあったかもしれない、いや、確実にあっただろう。でも彼女は自分の人生に勝っている、少なくとも現段階では。

全ては顔に出る、祐実ちゃんのあの美しさが勝利の証だ。美人は性格が悪いというのは嘘だ。あんなに美しいのだから、せめて性格は悪くあって欲しいという嫉妬だし、実際たくさんの嫉妬による嫌がらせによって性格が歪んでしまう場合はある。性格は顔に出る。外見は心の反映だ。透明な外見の人は透明な心を持っている。何があっても、外面を保った者の勝ちなのだ。それは彼女の強さの、心の平穏のあらわれなのだから。(ただしサイコパスとして感情が透明な場合もあるので気をつけよう、サイコパスについてはまた別の機会に)

私は言い訳をしたいわけではない。いや、でも言い訳をしたいのかもしれない。人は何でも自分の都合の良いように合理化する。客観性なんて一体どこにあるのだろう。花粉症の件だ。私が花粉症を発症したのは2年前、父が突然亡くなった次の月だった。原因不明の微熱と吐き気が何週間も続き、まともに生活ができない。病院でも原因がわからなかった。原因は花粉アレルギーだと特定したのは代替医療の天才治療家だった。耳鼻科で血液検査を受けると、スギ花粉へのアレルギー反応があった。抗ヒスタミン剤を飲み出し、微熱と吐き気は抑えられた。

そして去年2024年。前年にスギ花粉アレルギーの洗礼を受けた私は、徹底的に準備しスギ花粉飛散シーズンを迎えた。かなり奮発して最新鋭の空気清浄機を部屋に導入。外出時にはマスクと花粉防止メガネを着用。もちろん洗濯物は部屋干し。掃除の徹底。部屋に入る前はコートと頭をはたき、帰ったらすぐに手洗い、うがい、鼻うがい、できることなら速攻でシャワーも浴びる。現代医学では腸がかなりの部分のアレルギー症状に関係していることがわかっている。私は乳製品があまり体質に合わないので、植物性の乳酸菌、豆乳グルト、ぬか漬け等の発酵食品を積極的に摂取した。これらの甲斐あってか、なんとか去年は飲み薬がいらないくらいに症状が抑えられていた。

そして今年、2025年。まず上記の対策は全て行った上で迎えたこのシーズン。今年は1月後半の段階から私の体は異変を感じていた。外出すると喉がイガイガになってくる。この時点では花粉レーダーではまだ花粉はほぼ飛んでいないという表示だったけれど、思えばこのときからあやしかった。去年2回の外科手術とその前後の大量の投薬を経験し、私の免疫力は風前の灯火だった。(アレルギー症状は免疫の誤反応とも言えるけれど、弱っているから正常に機能しないのだ)

2月半ばになり、発熱。花粉症デビューの年にはなかった鼻と喉の症状も追加されたので、最初は風邪や感染症の疑いもあったけれど、熱が微熱でずっと続いていること、目の痒みもあること等から、病院でもやはり酷い花粉症だろうという診断。3月頭の段階で通常の抗ヒスタミン剤の投薬を始めて1週間経っていたけれど、殆ど症状は治らず。ここでステロイドとさらに強い抗ヒスタミン剤を使うかどうかの選択肢が与えられる。他の治療と薬の相性が悪いので悩む。でも3/10のJZ Bratは迫っている。体に悪くても3/10になんとか歌える体にすることを選んだ。この時点で、鼻水、痰、咳が起きている間は止まらない状態。喉の粘膜が腫れ、粒の大きいサプリメントを飲むときも詰まりそうだった。もちろん練習どころではない。呼吸するだけで、横向きで眠るだけで精いっぱいだ。

ステロイドと強力な抗ヒスタミン剤の投薬に切り替えて1週間後、やっと顔面から流れ出る粘液の分泌量が減ってくる。この時点でJZ Brat出演前日。とりあえずステージの上では鼻をかまないでも大丈夫なくらいの分泌量になった!でも数週間、鼻水、痰、咳に晒され続けた喉は限界なんだ、玄界灘。

歌唱の場面においてカラオケ等でもよく、声が出た、出てる、出なかった、という言い方があるけれど、現代のマイクを使う歌唱では、出ている声が極小でも、少しでも出ている限りは拾うことができる。でも声が出れば歌になるわけではない。発声し、音色を整え、ピッチとタイミングを合わせる。ここまでできて初めて歌になる。正直にお伝えすると、3/10ライブ当日のリハにおいて、喉の炎症によって、まず発声がままならない音域があった。音色は確実にいつもの私の音色ではなかった。声帯が腫れているのでいつもと同じ入力で同じ音に当たらない。これも歌手の皆さんはご存じだと思うけれど、声帯が腫れているときは、囁くようには歌えない。しっかりと張らないと音が出ないし保てない。大切なライブで酷い歌を皆さんに聴かせてしまうことになるかもしれないと思い、私は心底恐ろしかった。

ここで音楽監督の浅川氏に相談する。現時点で出しにくい音域が頻発する曲はあらかじめ変更しておいた方がよいだろうかと。氏は言った、今回のライブは完成度でなく歌手として持っている世界観を聴いて貰うことを優先した方がよいと思う。氏の音楽的な能力と直感と直観は軽く見積もって私の10倍は冴えているので、私は選曲を変えなかった。酷い歌になったらどうしようという恐怖と自意識を乗り越え自らを曝け出さなければならない。後は音楽のカミサマにお任せする。これは儀式なのだ。ライブ本番、私の歌がどうであったのかは、お越し下さった皆さんがご存じである。後でいくつか動画も上げる予定。

私の喉の様子に気づいたPAの羽生田氏は、本当に少ししか音が出ない帯域を膨らませて聞こえるようにしてくれた。恐怖と緊張によって普段したことのないような、あり得ない私のミスをメンバーはさらっと修正し惨事を回避してくれた。やっぱりこのメンバーにお願いしてよかった。

ちなみに、ライブ中に咳は出ない。アドレナリンで咳は止まる(MC中はあやしい、アドレナリンが出ないから)。それは遥かパンデミック前の牧歌的な時代、人々が感染症の恐怖に怯えていなかった頃、40度の熱があってもステージに立っていた頃から続く敬虔な経験で、自分でも毎回感動する。2ndセットでLilla Flickaが喋らなかったのは喋ると咳が出るからだ。後半喋れるようになったのは、1stと2ndの間に追加した咳止めが効いてきたから。

ライブ後、毎月、いや毎週のように私のライブに来てくれているリスナーの方からメッセージをいただいた。「すごく良かったです。まさに集大成というのが相応しい、渾身のライブという感じでした!花粉症はギリギリのところで持ちこたえましたね!」私は涙が出た。

ライブは一期一会で、音に出ていることが全てだ。内情など何も関係ない。3/10のJZ Bratが私の歌を聞く最初で最後の機会だった方もいると思う。音楽家なら誰もがベストの状態でステージに立ちたいと思う。でもそれが叶わないときもある。演奏家も歌手もアスリートで、でもアスリートも病気になったり、怪我をしたりする。私がオフィスワーカーであったなら、講師だけであったなら、仕事を遂行するのに全く問題にならない程度の不調が、歌手としては致命傷になる。そういうときはどうするべきなのか、止めるのか、辞めるのか、休むのか、傷んだまま続けるのか、やり方を変えるのか、工夫でどうにかならないものか…できるだけ自意識に捉われず、最前を尽くさなければならない、それしかできない。私は日々経験し、学び続けています。

そして結果として3/10はライブを中止にすることなく開催できたのだから、やはり音楽のカミサマに、素晴らしいメンバーに、素晴らしいスタッフに、素晴らしいお客様に、治療家氏に、医師に、我が人体に、感謝します。

ライブ活動休止前のライブはあと2本。

3/25(火)関内Venus
井上ゆかり(Pf)

3/28(金)代々木NARU
鈴木康恵(Fl)
浅川太平(Pf)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます🎉
Happy New Year💖

いつもいつも本当にありがとうございます。皆さんに支えられて生きています。

去年は喪中だったので、いちおう慣習にのっとってこれらの言葉を口にするのは2年ぶりとなりました。慣習には従っても従わなくてもよいのですけれど。

例のごとく観念的で長〜い日記を書いたのですが、今はあえて心の中に秘めておくべきことかもしれないと思い直しました。

新年の抱負というか、願いだけ記しておきます。毎日毎日、一分一秒、自分に偽りなく、常に自分にとっての正しい選択肢を選び取ってゆけますように。自分が出来得る最大限の美しい音楽と言葉を紡いでゆけますように。誰しもの心が勇敢で積極的な平穏の中にありますように。

今年は1〜3月にかけてイベントが目白押しなので、ついてきて貰えたらうれしいです✨

▶︎1/15(水) “Sweet And Lowdown E.P.”
配信リリース🍫✨
&
▶︎同日、関内Ben Tenutoにて
ユニットThe Lost Sweets企画ライブ
『ちょうど100年前のジャズ1925/2025年編』
開催 浅川太平(Pf.)

▶︎1/24(金)おむすびJAZZ神楽坂
ふるみまや(Vo.) 保坂修平(Pf.)

▶︎1/28(火)関内Venus
大橋祐子さん(Pf.)と久しぶりの共演です❤️

▶︎2/5(水)Lilla Flicka名義のニューシングル配信リリース!✨

▶︎2/7(金) おむすびJAZZ神楽坂
佐々木華(Fl.) 大橋祐子(Pf.)

▶︎2/27(木)関内Venus
実はこの日は私の誕生日になります〜😌🧡
浅川太平(Pf.)

▶︎3/10(月)渋谷JZ Brat
加藤咲希×Lilla Flicka合同リリースパーティー🎉👬
浅川太平(Pf.)仲石裕介(Ba.)秋元修(Dr.)
田島浩一郎(D.J. & Mani.マニピュレーター)

▶︎3/25(火)関内Venus
井上ゆかり(Pf.)

▶︎3/28(金)代々木NARUソロボーカルデビュー🌟
鈴木康恵(Fl.) 浅川太平(Pf.)

打って変わって、4月以降は本当に何もない(笑)ので、今年の加藤咲希は前半にめちゃくちゃ寄っています❣️

応援何卒よろしくお願いいたします💖

2024年9月30日の日記

とあるロックスター、続・悪人論、金原ひとみについて

怒涛の9月が終わろうとしている。歌手としては名古屋に行って、代々木NARUに初出演して、関内では松本隆特集で日本語の曲と向き合い、神楽坂にも出演2回目だった。講師としては本格的に英語講師業を再開、同時に日本語講師業も開始した。おかげさまで、リスナーの方もスチューデントの方もじわじわと増えて来ている。新約聖書には「求めよ、さらば与えられん」と書いてあった。

手術後、私は別世界に降り立つのだと思っていたけれど、本当にそうなった。何もかも、認識が全てなのだ。別世界に降り立つのだと決める、そして本当に降り立つ。私は今何にも悩んでいない。悩むのをやめると決めたからだ。また悩みたくなったら悩むのだと思う。日々いろいろな出来事は起こる。でもそれを悩みであると認識しない。ただ「出来事が起こっている」もしくは「どうするべきか考える対象」だと思う。悩みではない。量子は観測者の認識によって存在の状態が変わるのだと量子論も説明している。量子は波と粒子の性質を併せ持つ。意識は波だ。アントニオ・カルロス・ジョビンは正しい。

どんな経緯で発見したのか覚えていないのだけれど、この方のnoteが面白くて更新される度に読んでいる。
https://note.com/keigosakatsume/

この方はたぶんロックスターで、もの凄い眼光と筆力で言葉を紡ぎ、私の憧れの海際に居を構え、要請があればどこにでも赴き、人々を(たぶん主に女性、でも性の区分けなど設けていないに違いない、ただ色気も凄いので磁場が歪むのだろう)癒し、鼓舞し、叱咤激励し、慰め、生きている。坂爪さんはおっしゃる、現実を見ている場合ではないと。あまりにもそのとおりすぎる、私たちが現実と認識している世界が幻想で、私たちが幻想と認識している世界が現実なのだから。坂爪さんはこうもおっしゃる。お姉様から受けた薫陶として、「バレない悪事は悪事じゃない」「挑発はするものであって乗るものではない」「感情が揺れた時は笑え」。あまりにもそのとおりすぎる。素敵なお姉様をお持ちである。

初めてお会いしたAさんはとても良い人だった、とBさんに伝えたところ、Bさんは、いや、でも出会ったばかりでその人の裏まではわからない、悪い人の可能性だってある、と言った。私は思う、もちろん可能性は何だって無限大だ。でもAさんがもし裏で巨悪の限りを尽くしているめちゃくちゃ悪い人だったとしても、一生私に自分は良い人だと思わせることができたのなら、やはりAさんは「良い人」なのだ。他人から悪い人、と思われるよりは、良い人、と認識しておいて貰った方が、どう考えても生存戦略としてよいだろう。良い人の方が周囲からの支援を受けやすいし、自分でも自分は良い人で他人に対して善行を行うような人間である、と思っている方が、自分は悪人で罪人なのだ、という罪悪感でいっぱいの自意識より遥かに心地よいだろう。

たまに罪悪感の欠如したサイコパス性を持った人間もいるけれど(アメリカだと100人に1人くらい、文化や遺伝の影響を受けるので日本だともっと少ないらしい)、共感性を欠いた彼らは目的の為なら躊躇なく物事を推し進めることができるので、人類全体の進化や進歩の過程の中で考えたら必要な存在である。サイコパス性を持った人間は、知性が一定の基準に達している場合、生存戦略としてきちんと良い人のフリができる。

ということは、人に悪人と認識される人間とは、生存戦略としてせめて良い人のフリをすることもできない、頭の弱い(宮台真司節)、つまりは生命力の弱い人間なのかもしれない。憎むべきどころか慈悲の対象である。本当の悪人は、誰にもバレないように悪事を働く。誰かひとりにでもバレてしまえば、逮捕されるなり、噂が立つなりして、悪事を働く場がどんどん減っていき、最終的には何もできなくなるからだ。

最近あらためて金原ひとみを読んでいる。私は芥川賞を受賞した彼女の処女作『蛇にピアス』を読んだときに思った、So what? 彼女が描いたのは私が、私たちが、あの頃生きていた世界の現実だった。金原ひとみの父親が当時から名の知れていた翻訳家の金原瑞人だと知った近所に住んでいた年上の男性は、もし自分の子供がこんな小説を書いたらどうしてよいかわからない、と言った。でもお兄さん、これが私たちの現実なんです、と思ったけれど言わなかった。

『蛇にピアス』には共感しかなかった、だから同族嫌悪に近いものがあったのかもしれない。私は救いが欲しかった。『蛇にピアス』には救いがなかった。だからSo what? と逃げるしかなかった。次作『アッシュベイビー』にも救いがなかった。そして私は金原ひとみを読まなくなった。その約20年後、書店で彼女の新作を見つけた、『パリの砂漠、東京の蜃気楼』。彼女がパリに住んでいた頃のことを含めたエッセイだった。

私は自分がストックホルムに断続的に住んでいた経験から、ヨーロッパに住んでいた/いる女性のエッセイに弱い。久しぶりに彼女の著作を手に取ってみる。凄い。エッセイと小説の文体が全く同じだ。この人は全部私小説、もしくは私小説風の作風で、本当に毎回血を流しながら書いていたんだ。表紙の彼女は20年前と同じように、いや、20年前よりも、神々しいとさえ言える美を纏っていた。この人は、自分でしかあれない自分として真摯に生きてきたのだ。それでこんなに美しく、正しく成長したのだ。

続けて読んだのは『軽薄』。禁断の愛と言ってしまえば陳腐になるけれど、極限状態での究極の愛が描かれている。凄い、凄い凄い、こんな境地に達していたのか。以前一部引用した川上未映子の言葉に通ずるものがあるかもしれない。

次に『オートフィクション』、自伝的私小説風小説の最終形態!谷崎賞受賞の『アンソーシャル ディスタンス』、「コロナ禍で、みんなも自分自身ももがき苦しんでいる。その声を書くしかないのではないかと思った」、なんて真摯な。そしてここ最近矢継ぎ早に出版されているのが、一見して今までの作風とはがらりと変わった、つまり私小説風でなくなった『腹を空かせた勇者ども』、『ハジケテマザレ』等。素晴らしい、素晴らしすぎる、臨界点越えからの転換。この天才作家には、あれもこれも書けるのだ。もちろん私小説だってまたいつでも書けるのだろう。

畏れ多くも同族嫌悪で避けていたのかもしれない私は、金原ひとみに回帰し、20年越しに救われている。ここにはほんとうのことが書かれている。『蛇にピアス』の少女は成長し、So what? の答えをくれたのだ!それは20年間彼女がとにかく真摯に生き、書き続けたからだ。20年はまたたきの一瞬、全てはおとぎ話。金原ひとみは、今いちばん日本で研ぎ澄まされた、書くことと向き合い続け、輝き続けている、唯一無二の文学者である。

十代の私は思っていた。ほんとうのことなんて書いてなんになるの。でも今ならわかる。ほんとうのことも書けない人間に、ほんとう以外の何かを紡ぎ出せるわけがない。彼女は強く、私は弱かった。その人がそうでしかあれないという生を生き切っている姿は恐ろしいほど美しく、その圧倒的な美に人は平伏すのだ。

※この写真は7月の手術直前に今年はもう今しか海に入るチャンスがない!と思い滑り込みで海に行ったときのもの。

2024年9月12日の日記

ずっとほったらかしていた公的な手続きを一気にやる。区役所とか銀行とか奨学金のこととか。締切とは神が与えたもうたシステムだ。期限がないとやる気が起きないことがたくさんある。いろいろ整理しているうちに発覚したこと、大学の奨学金という名の借金(日本学生支援機機構)の返済があと2ヶ月、つまりあと2回で完済すること!

大学を卒業してから、毎月約10,155円、いや払えない月もあったけど、でも少しずつ少しずつ返してきた。大学の入学金は、大学そのものが保証人になってくれて、銀行から借りたお金で払った。こちらはかなり前に完済済み。借りた額が大きかった日本学生支援機構の方は、ずう〜っと返し続けて、今に至る。

とても有り難いことに大学からは貸与でなくて給付の奨学金をいただけたこともあったけど、それだけでは夜学とはいえ、私大の学費と生活費は到底足りず。私はスーパーリベラルかつアナーキーなスウェーデンかぶれの人間なので、保育園/幼稚園(この区別すらどうかと思う)から大学院まで無償でないなんてあり得ないと思っているけれど、日本にいる以上、日本学生支援機構の奨学金制度がなかったら大学に行くこともできなかったのだから大変有り難い。

苦しいときも、嬉しいときも、悲しいときも、ひとりのときも、ふたりのときも、またひとりになったときも、祈っていたときも、その後も、ずっとそばにいてくれたのね奨学金(の返済)。というBlue Moonの歌詞みたいな気持ち。

私はたぶんどちらかというと、よく言えば論理的思考ができる、悪く言えばかなり理屈っぽいと思われている。でもそれは私が感性と身体能力がものを言うジャズボーカル界に身を置いているからであって、例えば文学部生時代には、私は論理性が足りない方であった。A +なんてどうやって取るのかわからなかった。クラスメイトたちはもの凄く頭が良くて、もの凄くたくさんの本を読んでいて、めちゃくちゃ複雑な論理的思考ができて、何を言っているのかわからなかった。私は自分は馬鹿だと思って嬉しかった。学ぶべきことが多くあるのはうきうきする!

だいたい、わざわざ夜学の文学部に行くような人間は本当の数奇者、活字狂い、思想狂いばかりだ。試験科目は、国語、英語、小論文のみ。言葉の論理とともに起床し、論理で歯を磨き、論理のシャワーを浴びて、論理とともに登校。授業を受けて、学友や教授と議論を交わし、食事を摂り、また論理ともに床に就く。ベッドの上は本だらけ。もちろん枕は本である。ちょっと硬いけどね。

人の思考の合理性、論理性というのは、育ってきた文化や使用する言語によってかなり違う、というのは、日本語と英語という二つの言語、あといくぶんかのスウェーデン語を扱うことによって、実感している。

例えば、文学部の外に出た私は日本では理屈っぽい人間として人を辟易させるときもあるけれど、英語で喋っているときに私の思考が理屈っぽすぎて辟易する人には出会ったことがない。特にスウェーデンで生まれ育った人間は日本文化からしたらもの凄く合理的、悪く言えば理屈っぽい。私がスウェーデン人とコミュニケーションを取るときには、もっと思考を明確に言葉にしてくれないとあなたの考えがわからない、と言われるけれど、日本の方とコミュニケーションを取るときには、物事をなんでもはっきり言語化しすぎだと言われる。日本は全てを言語化せずに曖昧な部分を残しておく美学。

そうだ、日本語文脈ではKYと言われる私ですが、逆に英語文脈では、勝手に意味を読まないで、と言われます。なぜかというと、相手が思考して言語化して伝えていることがまさに伝えたいことなので、言語外の意味を勝手に推測するのは対話においては失礼にあたるから。言語学において日本語は超高コンテクスト(文脈)言語で、英語は低コンテクスト言語だから、この違いはしょうがない。日本語のコミュニケーションでは言語化されない部分の文脈把握が大切だけれど、英語では日本語ほど文脈把握は必要でない。むしろ何でも言語化して伝えるように、そして相手の言語を理解して対話するように、幼少期から教え込まれるのです。言語変われば、所変われば、人の評価も印象も全ては移ろいゆく相対的なもの。

FB上で、全然知らないオーストラリア人らしき人からアジア人を侮蔑する言葉を投げかけられた。えっ、凄い!新鮮!今どき人種差別をする人ってまだ存在していたのか…。概念が幼いのね。頭が弱いのね。

ダライ・ラマは、いわゆる悪人やダメな感じの人と出会ったときは感謝するのだという。その理由は、どの書籍に書いてあったのかうろ覚えかつ私の解釈も多分に含んでいるのだけど、その人が悪ければ悪いほど、ダメであればあるほど、何がよい行動とされるのか、善とは何であるか、輪郭がはっきりしていく。悪い人はその悪い行動によって、世界の悪さを引き受けてくれているのだから、感謝するべきなのだ。

ここからは完全に私の言葉だけど、あちらの世界に持っていけるのは、魂の色彩だけなのだから、ふつうは誰だって美しくて清くて綺麗な色が好きなはずだから、わざわざ汚れた魂の色彩を引き受けている悪人は尊いのかもしれない。嘘をついたり、脅したり、真実から目を逸らし続ける者たち。被害者のふりをする加害者。そして被害を受けた、というところに大きな落とし穴があると思っている。

理不尽なことが起きる。悲劇はランダムに起こる。通り魔がいる。それを誰かが引き受けて、いわゆる被害者になる。問題なのは、被害者が自らのトラウマ的な体験によって、加害者になっていくことだと思う。被害を受けた怒り、悲しみ、憎しみがごちゃ混ぜになって、自分の痛みを何かを代償にして埋め合わせようとする。強烈な痛みをこの瞬間に抱えている者は、他人の痛みなど気にしている暇はない。今首を絞められて殺されようとしているものは、もがいて動かした爪で人の皮膚を切り裂いていることになんて気づけないだろう。なんとかしてまずは呼吸をしなければならない。脳に酸素がいっていないのだから、思考がものすごく浅い状態。そしてその尖った爪をもって次の通り魔が誕生する。

加害者と被害者の連鎖、被害者が加害者になっていく過程ってこれに尽きるのではないかしら?だとしたら、こんなに単純でつまらないゲームからは卒業するべきだ。だから楽しくない同じことを何度も繰り返すのは馬鹿のすることなんだってば。

いやいや、だって子供のときから何十年も虐待を受け続けたんだよ?戦争で人を殺したり、殺されたんだよ?騙されて、全財産を失って、強姦されて、DVを受けて、苦しくて苦しくて、クスリやセックスや自傷や他傷が必要だ。わかる、わかるよ。辛かったよね、私もそうだったよ。自分の痛みが辛すぎて、無意識に、あるいは意図的に、人も自分も傷つけてきたんだ。ごめんなさい。もし輪廻が存在するならば、誰にでも過去世には酷い経験があったのかもしれない。そうでなくとも物語の中では何でも何度でも擬似体験ができるでしょう。

極限状態で保たれる人間性のことを考える。ホロコースト下でのユダヤ人強制収容所が舞台のコメディ(!)、ロベルト・ベニーニ監督『ライフ・イズ・ビューティフル』、この映画がある限り、どんな酷い状態でも人としての品格は保たれ得るのだと、どんな酷い環境にいてもその究極の責任は本人の中にしかないのだと思う。何が起きても、それをどう解釈するのか、昇華するのか、心の中のどの位置にそれを置くのか、本人次第であるという究極の祝福。

通り魔に会って、自分が被害者である、という意識でいるとき、周りも自分のことを被害者として扱うとき、確かに、怒りや、悲しみや、憎しみを感じないでいることは結構難しい。その不快な感覚を自分の中に生じさせた通り魔を恨むかもしれない。でも人間は認識が、意識が全てなのだから、この不快な感覚を制御できないことが何よりも辛い体験なのだ。

特に怒りのような原始的な感情は、脳の中でも大脳辺縁系と呼ばれる部位が関わっていて、凄く単純化して言うと、人の脳は、他人への怒りや攻撃性を自らと切り離して考えることができないという。人に対して怒っていても、脳は自分に対して怒っているかのように、ストレスとダメージを受ける。人を呪わば穴二つ、という言い回しはこのことを指しているのかもしれない。怒りは被害者を蝕んでゆく。

わかった、じゃあどんな「被害」に会ったとしても、怒りや憎しみを感じなければ幸せでいられるというわけね?でもそんなこと、人間に可能なのかしら?それってむしろ感情を感じるという人間性の放棄なのでは…あんなに酷いことをされたのに!PTSDの症状が酷くて今にも死にそうなのに!

ここで冒頭に戻る、ダライ・ラマの言葉だ。世界の悪を引き受けてくれている悪人に感謝を、憐れみを。最新の科学によると、意識すら量子の働きかもしれないので、そして量子は観測者が観測して初めて存在するらしいので、怒りや憎しみに意識を向けない。意識されないものは存在できない。

すでに存在しているPTSDの症状や、怒りや憎しみに対しては、必要な場合は投薬治療を受けてもいい、カウンセリングを受けてもいい、精神分析でも、滝に打たれても、自己啓発本を読んでもいい、瞑想しても、スピリチュアルでも、ホ・オポノポノとかいろいろなクリーニング法や手放し方があるじゃない、作品に昇華してもいい、とにかく手を替え品を替え浄化していく、のは全て己の幸せの為。あなたの脳がきちんと機能して心が穏やかになる日がいつかやってますように。

たまに、例外として、過去の被害も何も関係なく純粋な悪の塊もいるけれど、それはもう悪神様って感じで、拝んで通りすぎる。彼/彼女は世界のコントラストを表現する為に存在しているだけなので、近寄らないのがいちばん。

………………………………………………

園子温監督『愛のむきだし』より孫引き

【新約聖書コリント使徒への手紙第十三章】

完全なものが到来するときには、部分的なものは廃れさる。私は幼い子供であった時、幼い子供のように語り、幼い子供のように考え、幼い子供のように思いを巡らした。ただ、一人前の者になった時、幼い子供のことは止めにした。

………………………………………………

自分も周りも、被害者が加害者になっていく連鎖が、どう考えても、幼少期から、止まらない。そして現時点において、もうこれって何か変だな、いい加減悲劇に飽きてきたな、何か抜け出す方法があるはずだぞ、と、やっと客観性を持って状況を見て、考えられるくらいに、私の思考が成長した。でも論理で考えられる部分があっても、自らの感情の扱いが、まだまだパーフェクトなわけではないから、日々是精進。ちょっとしたことで、感情が揺れ動き、それらひとつひとつを丁寧に処理していく。手放したり、昇華したり、思考によって分解したり。この不毛な連鎖から必ず抜け出すぞ、という強靭な意志を持って私は日々生きているのです。

で、ここからは一気に論理が破綻するのだけど(笑)私の音楽理論の師匠は凄く魅力的な人で、魅力的な人にありがちなこととして、愛されすぎる。愛されすぎると、憎まれたりするもので、何らかの発言をすると(あとたぶんたいして発言してないときもある程度コンスタントに)嫌がらせメールとか、殺害予告とか、よく来るんだって。それで、彼がそのことにXで言及して言っていたのが、

「殺意や呪いに近い怒りを抱くのは、とても精神に良い。僕でよかったら好きなだけやってほしい。感情押し殺すから具合悪くする。」

凄い。かっこよすぎる(笑)なんかこういうやり方もあるんだな〜って、それもいいかも、と思いました(笑)。私はいい子だから真面目すぎるんだよね。この世界をもっともっと遊んでいこう。

※写真は去年の今頃、ヴェニスでディナー